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2006年08月31日

地雷除去機の開発~カンボジア・シェムリアップ州~

 こんにちは。8/27~30日にかけて、カンボジアのシェムリアップ州で行われている対人地雷除去機の開発現場を視察してきました。

《悪魔の兵器~地雷~》
 カンボジアで地雷が埋設されたベトナム戦争当時の1967年以降、それに伴い勃発したカンボジアの内戦は、1991年に和平が達成されるまで20年間以上も続きました。その間使用された対人地雷により、カンボジアは世界でも有数の地雷埋設国となり、現在も400~600万個の地雷が一般国民を苦しめています。2004年にも約1000人もの方が足を失うなどの被害にあわれているのです。そのうち実に30%は子供が被害者になっています。
 「地雷があるところに入らなければいいんじゃないのか?」 素朴な疑問ですが、そう簡単にはいかないのです。対人地雷というのは直径10cmにも満たない小さく軽量なもので、雨期に沢山の雨が降ることによって流出します。それが農家の田んぼや畑に漂着し、農作業に出かけようとして被害にあったりするのです。地雷の敷設はとても簡単で、しかも安価な兵器ということもあり、ゲリラには好都合な代物なのです。簡単にばら撒くことができ、しかも長年にわたって国民を苦しめ続ける・・・ 地雷が悪魔の兵器と言われる所以です。
 地雷の除去作業はカンボジア地雷除去活動センター(CMAC)がここ10数年にわたって継続していますが、長大な時間がかかる作業となっています。今回の開発は、さらなる除去スピードのアップを図るための除去重機を製作することを目的としています。

《継続的な援助を》
 日本のODAにより、こうした途上国の様々な問題をより良き方向へと転換しています。人類が生み出した兵器だからこそ、それをこの世から取り除くのもまた人類の英知によるしかないのです。戦争被害の何たるかをその歴史に刻む日本だからこそ、こうした他国の苦しみに耳を傾け、共存の道を歩んでかなければならない−そう再認識した視察でした。

投稿者 いとう渉 参加・訪問・視察コメント (0)

2006年08月25日

沖縄の米軍基地を視察

 こんにちは。8/25(金)、今朝の東京は雨のち曇り。雨のお陰でほんの少し涼しくなった気がします。
沖縄及び北方問題に関する特別委員会の委員派遣団の一員として、8/22・23の両日、米軍基地視察のため沖縄へ行ってきました。稲嶺県知事への表敬をはじめ、キャンプシュワブ(普天間飛行場代替施設建設予定地)等々7箇所の米軍基地の視察、キャンプシュワブ周辺の名護市長・金武町長・恩納村長・宜野座村長との懇談をとおして沖縄の抱える問題の複雑さを感じました。

《基地の中の沖縄・・・》
 在日米軍基地の約75%が存在する沖縄。その実態を自分の目で初めて確かめることが出来ました。街のいたるところに金網があり、その中は米軍基地。基地といっても、見た目は穏やかな感じですが、時折上空を通過する戦闘機やヘリコプターの爆音は相当なものです。基地の中は大変広く、ありとあらゆる施設が存在し、その中だけで一通りの生活ができるようになっており、沖縄では“リトル・アメリカ”と呼ばれていると聞きました。
 我が国は日米同盟に基づいて自国の防衛を米国に委ね、その代わりに米国に施設を提供しています。これによって軍隊を持つことなく、国の安全を担保しています(自衛隊の議論は先に譲ります)。しかし、この米軍基地が沖縄に集中しているため、騒音等の環境問題、一部米兵による治安の悪化等が懸案になっているのは皆様ご承知の通りです。また一方で、沖縄県民の約1万人の方々が基地で仕事をされているなど、基地による経済効果も無視できないものがあります。
 今般の米軍再編も“抑止力の維持と在日米軍の縮小”という一見相反する事柄を、何とか形にしたという意味では、評価できると考える一人です。しかし沖縄の目から見れば、頭越しで日米の協議が進んだ感が拭えないところがあるのも事実です。
 国・県・地元市町村、それぞれの考えが複雑に絡み合って、米軍再編、ひいては沖縄の米軍基地縮小は前途多難であることは間違いありません。しかし、どこまでもそこに住む方々の側に立った議論がなされなければならないと思います。

《戦争の無い世界へ》
 いずれにせよ、誰も望んでいないにもかかわらず、いまだに世界各地で戦争が行われ、“抑止力”という名のもとに軍備が進められています。不毛な戦争によって多くの犠牲者を出し、また原爆を投下された唯一の国である我が国には、この悪循環を断ち切る使命があると考えます。
 人類の英知を信じ、どこまでも高く、希望を掲げて進んで参ります。

投稿者 いとう渉 参加・訪問・視察コメント (0)

2006年08月22日

靖国参拝に思うこと

 こんにちは!本日は沖縄北方特別委員会の委員派遣団の一員として、只今沖縄に向かっています。今回の視察で沖縄の歴史と現状をしっかり学んでいきたいと思います。
 沖縄といえば第二次大戦で悲惨な地上戦を経験した島ですが、61回目の終戦記念日となった先週15日、小泉首相が靖国神社を参拝して大きな論争となりました。私も地元名古屋で終戦記念の街頭演説に立たせていただき、あらためて戦争と靖国の問題について考えさせていただきました。
 靖国神社の問題は私が言うまでもなく、A級戦犯の合祀問題をはじめ、公式参拝等の憲法問題や歴史認識、果ては外交問題に至るまで、あらゆる面で議論の対象となっています。
 私はこの場で靖国の問題を取り扱うことが良いのか悩みましたが、この問題に無関心であってもいけません。“今、自分にできることは何なのか”ということを考えたとき、“靖国とは何か”ということを自分なりに整理することは必要であると考え、つたないながらも現時点での自分の思いについて書かせていただきました。

《靖国・・・新しい思想・伝統の創造》
 “靖国は日本の文化です” 小泉総理は参拝後の記者会見でこう述べていました。しかし歴史をひも解いてみると、靖国神社の歴史は古いものではなく、またその精神は古来より受け継がれてきた日本の伝統とは異なったものであったようです。まず、靖国神社の概要を簡単に説明すると以下の通りになります。
○明治2年(1869)、戊辰戦争で戦死した官軍兵士を慰霊するため、「東京招魂社」として創建され、明治12年(1879)に靖国神社と改称された。
○靖国神社本殿に祀られている「祭神」は神話に登場する神などではなく、戦争で日本の為に命を捧げた「英霊」である。祭神総数は246万6000余柱。なお合祀される対象は日本国民及び死亡時に日本国民であった人に限られている。
 150年前に創建された靖国神社が、現代において問題となっているのはなぜなのでしょうか。その理由の一つに、靖国神社が持つ特異性があるようです。
 神社の「神」といえば、普通は自然を神格化したものであったり、天孫降臨神話によって成立したものであったり、歴史上の実在人物が次第に神格化されていったりと、「八百万の神々」の名が示すとおり多種多様に存在します。しかし御霊信仰を除くと、没後間もない人間そのものが神になるという伝統は、わが国にはありませんでした。
 それが明治時代になると変化します。明治新政権は自身の正当性を宣揚するために、政権樹立のために犠牲となった人々を天皇の忠臣として祀るという、新しい思想を形成します。そして「招魂社」を建設して「招魂祭」を行い、戦死者の「みたま」を栄光で包み、永久に神社にとどめて顕彰していきます。その後戦争があるごとに戦没者のための合祀祭を開催し、祀られる祭神の数が増えていきました。
 このとき初めて、日本の伝統にはなかった、「戦死者を神として祀る神社」、「祭神が増え続ける神社」という、後に「国家神道」と呼ばれる新しい思想が誕生するのです。
 その後、国策によって神道が宗教から「道徳」や「愛国心」に置き換えられていくにつれ、神社への参拝が当然となり、「靖国で会おう」という言葉が国民的常識となっていきます。これら日本人の思想の変遷に重大な役割を果たしたものが「国定教科書」であり、「教育」の力でした。

《教育の重要性》
 “現在の日本の平和と発展は、戦没者の犠牲のおかげです”。メディアのインタビューなどでよく聞かれるこの言葉の奥に、“日本という国家が、死ななくてもいい人たちを戦場に駆り出し、犠牲にしてしまった”との視点が希薄に感じるのは私だけでしょうか。
 国家が編集した教科書によって、“死んだら靖国神社に行けるのだ”と学び、先生に連れられて神社に参拝し、それを美徳とする道徳観をはぐくむなど、子供の頃から忠義と愛国精神を涵養する一連の教育効果は、戦争遂行に少なからぬ威力を発揮したのは確かです。
 靖国の問題を通して私が考えさせられたもの・・・それは、一つには「『正しい教育』によって国は発展し、『誤った教育』によって国が滅びる」ということと、もう一つは「人の心が国家権力によって操作される恐ろしさ」ということでした。
 このようなことを考えたとき、首相が“靖国神社に参拝し、不戦の誓いをあらたにする”と述べていましたが、本当に不戦の誓いをするのであれば、首相が靖国神社に参拝するのではなく、わが国のかつての為政者、あるいは国家機構が、靖国神社を戦争遂行のために少なからず利用したことを認めて、靖国神社とのかかわりを絶つべきではないかと思うのです。
 そして、多くの日本人が戦争の犠牲者であるのと同時に、わが国の犠牲者の何倍ものアジアの人々が、わが国が引き起こした戦争によって犠牲になったという事実をしっかり学び続けることが大切だと考えます。そのためにも、日本の近現代史の教育に真剣に取り組まなければならない時が来ていると考えます。

《おわりに》
 靖国の歴史を考えるとき、政治に翻弄されることなく、戦争で肉親を失くされた遺族の方々の静かな安寧の場となるのが一番良いと思うのは私だけでしょうか。引き続き思索を続けていきたいと思います。

投稿者 いとう渉 政策・主張コメント (1)

2006年08月09日

『偽装請負』について

 こんにちは。梅雨明けの青空もつかの間、台風のシーズンが到来です。近年は都市型水害も多発していますので、お互いに油断を排し十分な備えを心掛けたいものです。

《偽装請負とは?》
 ここ数日、新聞にも掲載されている「偽装請負」とは、本来、労働者派遣契約に基づいて提供されるはずの派遣社員が、請負契約の名の下に派遣されることを言います。派遣の場合は、派遣元事業主には労働契約、賃金支払い、時間外労働協定の締結、労災補償等の責任が、派遣先には労働者の危険・健康障害防止措置、労働時間等の責任があります。一方、偽装請負の場合は労働者派遣契約を締結しないまま労働者を派遣しますので、本来派遣先にあるはずの安全衛生等の責任があいまいになり、危険防止措置が十分に講じられず、労働者が労働災害に遭うなどの恐れが高まります。

《最近の動向》
 請負事業に係る指導監督実施件数は、H15年度には300~500件程度であったものが、H17年度には600~900件程度と増加傾向をたどっており、早急な是正が求められています。また偽装請負の撲滅には、非正規雇用ではなく正規雇用による安定的な雇用確保が重要であり、経済界の協力も不可欠です。

《おわりに》
 行政あるいは企業がコスト削減に努め、より安く・より良いものを国民あるいは市場に提供することは大切なことですが、競争が激化すればするほど、それに携わる人間のモラルの重要性がクローズアップされると考えます。
“何のため”という目的の根底に“一人を大切に”という心がなければ、殺伐とした冷たい世の中になってしまいます。
想いを“かたち”にするために、今日も前進を続けます。

投稿者 いとう渉 家族・友コメント (1)

 
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